文章にできること舞台にできること
なんだか最近、本やら劇やら漫画やら映画やら落語やら、触れる機会を頂いています。
先日、ジャンヌ・ダルクを題材にした劇をみました。
その中で、『美しく幸せな時代のフランスの情景』を、
重ねたトランクの陰から5、6人の手がにょっきりと出て、その手が花になったり、鳥になったり揺れることで、表現していました。
語りは歴史的背景を語るのですが、フランスの詳細な情景は語られず、その手のなめらかな動きが優雅な雰囲気を醸し出していました。
演劇らしい表現に、わくわくします。
丁度、中世フランスの時代を描いた漫画では、貴族たちの華やかな振る舞いや、衣装、景色を描くことで、栄華を表現していました。美しい姫君、王子、次々と出てきます。
もし、小説で表すとしたら、どんな言葉になるでしょうか。
演劇や、漫画では表せない、香り、なんていうものでも、文章だったら書けちゃう。
『羊と鋼の森』(著、宮下奈緒)
の中で、「音」や「音楽」が見事に表現されていたように、実際の自分の嗅覚や聴覚ではとらえきれないものさえすくいあげて、あらためて、美しく心に届けてくれるのが文章です。
今まで何となく、
小説は文しかない
漫画は文と絵
劇は語り(セリフ)と役者と動きと音
映画は、それプラス、見せたいものをよりアップにリアルに
と、
前者の方が想像力が必要になるものだと思っていました。
でも、舞台では、実際にフランスの華やかな街を持ってくることはできない。
その代り、客は揺れる12の腕と、語りの言葉だけを見て、美しきフランスを想像するのです。
戦争のシーンでも、何千人という戦いを見せることはできない。その代り、様々な表現が工夫されていて、ライトや影や音、色々な方法で表現されるのです。
見せる側の思いと、見る側の想像力がピタッと合った時、それはきっと、ちゃちな映像よりも豊かなフランスが浮かび上がるのだろうなと思います。
どの技法にも、それぞれの良さがあって、それぞれの面白さがある。
文章でしかできない面白さ、劇でしかできない面白さ、座った語り手だけで世界の広がる落語の面白さ。
そこに、作り手の工夫や思いや丁寧さが、垣間見える。
表現って自由で、どれも捨てがたく面白い。
そう思ったこの頃でした。